第39回 観てから聞こう!ディズニー映画『アナと雪の女王』を語る2時間半
※作品のネタバレ前提で話します。未見の方はぜひ鑑賞してからご覧ください。
観た方は 公式サイトで公開されている脚本 を読みながら振り返るといいと思います。
『Frozen(邦題:アナと雪の女王)』がようやく日本でも公開
- いよいよ日本でも公開
- 邦題:アナと雪の女王
- 略して→アナ雪
- あなゆき?
- あなせつじゃないの?
- なんで、せつ?
- 邦題:アナと雪の女王
- 3ヶ月のビハインド問題
- 北米では11月末のサンクスギビングのシーズンに公開
- 日本公開は3ヶ月以上も空いてる
- 前作『シュガー・ラッシュ』のときも同様で、観たばかりのみやおかは興奮して話していたが、イダテンは細部を忘れてて「そんな話だっけ?」と話の熱意が噛み合わなかった
- でもそれから3回観てるし、YouTubeとかで曲を聞いて今でも子供たちが歌って踊ってる
- なのでまだまだイダテン家では興奮が冷めてない
- 北米ではそろそろBD/DVDがリリースされるので店頭に見に行ったらプロモ映像でその場で子供たちが大声で歌い出すくらい
- グッズもバカ売れ
- プレミアついてたり
- 北米でもまだやってる映画館もある
- 時期的にオスカー取ったというのもある
- 北米では11月末のサンクスギビングのシーズンに公開
- めぐみさん:近年観た中で一番心に残る
- 親の立場として
- 自分たち亡き後、子供たちが頑張っている姿に見える
- 親の立場として
- "Do you want to build a snowman?"
- 幼年時代から手袋の封印、両親の死、成長の過程をミュージカル3分で一気に消化
- 本編の背景となるストーリーがぎゅっと凝縮されている
- ドアの手すりの前に立たせることで段階的な背丈の伸び具合も分かりやすい
- 隔たりとしてのドアは子供目線だと特に強い
- ドアを挟んでタイトルフレーズを歌うが、成長後では状況が変わっている
- 最後はお互い座り込んで子供の頃と同じ高さになる
- ハリウッド映画お約束の「同じ視点に戻ってくるが見えている世界が変わっている」手法を、映画全体だけでなくこの小さなサイクルの中でも用いている
- いろいろ詰まっているのに説明的にならず、処理が上手い
- 中盤で騎士の絵を指差すところは"Hang in there, John"に聞こえて誰だろうと思ったら、JohnではなくJoanでジャンヌ・ダルクのことだった(戦う女性、カトリック、異端、犠牲、復権といった要素がテーマに通ずる)
- でもこの曲はカット寸前だったらしい
- これがなかったら成り立たないじゃない?
- redditでどの曲が一番好き?という質問に、監督やプロデューサーなどの主要スタッフが答えたのがこの曲
- カット寸前で短期契約のスタッフもたくさん雇わなければいけなかったけど作って良かったと
- 良かったでしょこのシーン
- ていうか最初の氷を切り出すシーンから泣いてた
- 幼年時代から手袋の封印、両親の死、成長の過程をミュージカル3分で一気に消化
- 悪役視点のお話
- シュガー・ラッシュでも悪役に焦点を当てていたというのもあるけど、現代的なテーマの映画には多い
- 今だとむしろ悪役側に背景が無いということがほとんど無い。その点で言えば駄作とされる『ダイ・ハード/ラスト・デイ』とかは現代でも一時代前の純粋な悪役っぽくて新鮮に感じられるくらいだった
- 本編前に『眠れる森の美女』の魔女を主役にした『マレフィセント』の予告が流れて、それですっかり悪役側の気持ちだった
- まあ眠れる森の美女、観てないんだけどね
- はぁ?!
- ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
- だから本編前のミッキー短編『Get a horse』では、悪役がこれでもかと容赦無くいたぶられてて正直見てられないほどつらかった
- むろんそれはクラシックな時代性の再現なんだけど、雪の女王が主役のfrozenでこれを組み合わせるのがきつい
- ミニーちゃんが悪女ビッチすぎる
- マレフィセント→クラシックディズニー→本編という流れ
- シュガー・ラッシュでも悪役に焦点を当てていたというのもあるけど、現代的なテーマの映画には多い
[16:17] ディズニーアニメーションの再定義
- 再定義的な作品
- 従来のディズニーのお約束に正面から丁寧に取り組んでいく姿勢
- そもそも魔法とは、true loveとは、王子とは、キスとは何か?
- 総括すると、ディズニーアニメーションとは何かを再定義している作品
- 歌についても無駄なミュージカルシーンが無い
- "Love is an Open Door"
- 一気に恋に落ちるシーン。ミュージカルらしいわざとらしさを敢えてやっているが、これがないと恋に落ちたという心情が説明できない
- 『007 スカイフォール』もシリーズのお約束を正面から解体し、再構築していく作品
- 観客の世代が新しくなり、制作スタッフもかつて観客としてシリーズを見ていた世代が担うようになると必ず突きつけられる課題
- そういうのをディズニーがやるというのがすごい
- 本編テーマ:愛とはなんだ、という重くてシリアスな題材を正面からやれるのはディズニーならでは
- 例えばこれがピクサーだと想像しがたい
- ディズニーにはプリンセスやミュージカルの積み重ねの歴史がある
- ピクサーが一時期完全にディズニーを追い抜かしたのは、子供向けでマンネリになっていたプリンセスやミュージカル要素を排除して、大人も共感できるような欠落を抱えたキャラクターたちを打ち出したという文脈
- ディズニーらしさを時代の王道に載せ戻してきたのが近作
- 短編Get a horceも本来ピクサー的な実験性があり、いまやそれをディズニーがやっていて勢いがある
- 『Tangled(塔の上のラプンツェル)』で「プリンセス物はもうおしまい」と言っていたように、シュガー・ラッシュでは選挙制、今作でもプリンセスを再定義という流れにある
- 例えばこれがピクサーだと想像しがたい
- ミュージカルの強さ
- magicとは何か
- エルサがなんで持ってるのか、そして何故解けないのか
- 親視点で見ると、子供が生まれ持った障害・ハンディキャップのメタファーにも見える
- エルサの両親と同様に庇ってしまうだろうけど、それでは子供が自立できない
- ハンディキャップ自体が悪いものではなく、周囲への理解を築かないことを問題にしている描き方
- 呪いと魔法は表裏一体
- みやおか的にはディズニー作品を観慣れていないせいか、ディズニーのクラシック要素としてのmagic(の再定義)というもの自体にけっこう新鮮味があった
- アナがDo the magic! と言ってエルサの手から雪がほとばしる。単純に、その映像的な表現だけで『ファンタジア』的にぐっとくるものがある(これも観てないけど)
- 特に映画だと、元来映画映像自体がメリエス的なmagic (illusion)であり、虚構と現実の狭間でマジックが掛かったシーンが立ち現れることを意識することが多いので、キーフレーズ的に強さを感じる
- エルサがなんで持ってるのか、そして何故解けないのか
- ダブル主人公
- イダテン家の4歳児と6歳児を見てきたので、ドアを隔てて引き離されてしまうシーンには格別つらさが感じられた
[37:50] 雪だるまオラフ
- 脚本的な感想
- ミュージカルシーンでドライブしてとにかくアガるが、全体的な印象だと細部で不満もあり、ちょっとだけ中盤にだるさを感じてしまった
- 氷のモンスター(マシュマロ)あたりはちょっと不要じゃない?
- あれはオラフと対になった存在。みんな対になってるお話だから必要
- だったらもう少しオラフとマシュマロの絡みもほしい
- オラフの存在性
- 子供の時の雪だるまが現れるのは、イマジナリーフレンド的でもあり、別れと卒業が予感させられるので切ない
- 雪だるまだからいずれ溶けることも必至で、最初から自己犠牲を体現している存在性
- メタファーあふれるキャラだから、もうちょっとそのへんで話を盛り込んで見せて欲しかった
- どうせ溶けても作り直すのは分かってるんだけど
- 全国のお友達が泣いちゃう!
- ブリッグズの『スノーマン』の絵本を子供にプレゼントしたら、悲しすぎて二度と読んでくれなかった
- 解説(メガネ君)キャラ
- アナがサクリファイスを体現するシーンも子供には何が起こってるのか分からない
- そこでオラフがすかさず「An act of true love!(これぞ『真実の愛の行為』ですゾ!!(メガネをクイッとさせながら))」
- クリストフがやってくるシーンも言葉で丁寧に解説
- 最近のゲームのコンパニオンキャラ(TLoUのエリー、BIのエリザベス)のように、無敵属性で気にかける必要がなく、でも溶ければ死ぬという便利なキャラ
- アナがサクリファイスを体現するシーンも子供には何が起こってるのか分からない
- 藤子F的サクリファイス
- 元々はアンデルセンの『Sneemanden(雪だるま)』という話があるらしい
- 本作は「雪の女王」と「雪だるま」を元にしているとのこと
- 雪だるまなんだけど暖炉にあたることを夢見ていて、最後に暖炉にあたって溶けて死ぬ話
- ちがうよ!
- ちがった
- いつも体の中からキンキンカンカンと音がして暖炉を懐かしく思っている雪だるま。やがて春になって溶けてしまうとそこには暖炉の火かき棒が残り、それを芯にして作られた雪だるまだから暖炉に憧れていたのだと分かるという話
- 叶わない夢を生まれつきハートに抱えてしまっている矛盾性が不条理人生観でシビれる
- frozenのオラフは幼年時代のアナとエルサの愛から作られた存在
- エルサがLet it goを歌うシーンで無意識的にオラフを作り残していって、後から来たアナたちと出会う
[46:15] エルサの境遇
- "Let it go"
- 地面を踏むシーン
- 3回出てくる
- 幼女時代にスケートリンクを作るために
- Let it goで自分の城を作るために
- エンディングで王国の人たちのために
- 妹のため、自分のため、みんなのためと変わっていく
- エンディングのシーンではアナが幼女時代と同じ服を着ている
- まさに王道の原点に立ち戻るシナリオ
- 3回出てくる
- Conceal it. Don't feel it.
- 幼年期にエルサがお父さんから手袋をもらった時の言葉
- キーワード的に何回も出てきて自分を戒める
- ラプンツェルと同様に親の愛が仇になっちゃってるという感じ?
- 仇でもなくて、親の愛として否定はしていない
- 様々な愛
- 親の愛、きょうだい愛、恋愛、まがい物の愛、自己愛
- どれも否定はしていない
- そうした中でエルサを救う真の愛は何か
- 親の庇護を抜けて独立するしか無い
- 庇護の象徴である手袋をエルサに片方取られて、Let it goの過程でもう片方も外すが、そこではまだ理解に至っていない
- ラプンツェル的な話だと親の排除で独立となるが、frozenではあらかじめ親が亡くなっているという状況で自ら獲得していく
- 親の愛、きょうだい愛、恋愛、まがい物の愛、自己愛
[54:30] 原作要素
- カイとゲルダ
- 出てきたの?って思ったが、調べてみると二人とも宮廷の使用人で、戴冠式の日にアナを起こしたり、アナウンスをしたり、凍えたアナをクリストフから受け取ったり、最後に公爵に二度と来んなと言ったりと出番が多かった。
- 中年なので、原作の何十年か後という設定なのか、名前だけ当ててるのか
- ハンスは「鏡」
- 明確な悪役が出てこないからトロールにめぐみさんの憤りが…
- ハンスは悪役でしょ?
- ちがうよ、ハンスは鏡なんだって。だから全部対になってるの
- ああーー、そっか
- アナがハンスに会ったとき、うっとりするとハンスもアナにうっとりする
- “Love is an Open Door” の歌詞も同じ言葉を返すばかり
- ハンスがマシュマロに対峙すると凶暴性を映して戦い、エルサに対峙すると不安を映して同じ目をする
- 暖炉のシーンでの心変わりはアナに裏切られたエルサを映している
- エルサがアナに手袋を取られたのを反映して、ハンスも手袋を取る
- 制作者のブログによると、原作に出てくる鏡というモチーフをどうするかという結果生まれたのがハンス
- 俺もそう思った
- 明確な悪役が出てこないからトロールにめぐみさんの憤りが…
- ハンスとクリストフ
- アンデルセンのフルネームがHans Christian Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)なので、ハンスとクリストフの名前はそこから取って対の存在にしている
- ハンスが13番目の弟でユダのモチーフを表してたりするので、クリストフはキリストがモチーフかと思ったらそうではなかった
- アンデルセンにちょっと詳しければすぐ分かりそうな感じ
- アンデルセンっていったらパン屋さん
[1:06:31] キリスト教倫理
- 日本での受容のされ方
- 文化に無いということ
- 自己犠牲
- 最初に自己犠牲をしたのはエルサ。妹や周りの人のために、自分の感情と自由を押し殺して隠し続けてきた。
- それなのにジンクスジンクス言ってるアナが、姉さんは本当の愛が分かってない、と言ってきてそりゃあ姉さんキレますわ
- だから愛を知らなかったのはアナのほうであり、ハートが凍ってしまう
- 失楽園
- Let it goを歌いながらエルサが出て行くシーン
- 自分だけの自由を求めるのは罪の始まり、というのも文化的に無い
- 日本だと独立するのは良いこととして受け取られそう。
- 日本語吹き替え版だと特に、歌い方とか歌詞とか悲しさとは裏腹の明るい表情というのも相まって、これだけ見ると女性が強く自立するといった違う文脈に感じられる
- "No right, no wrong, no rules for me. I’m free!"というのはサタンのセリフとも呼応する
- 感動的だけど、本来そうあってはいけないと暗示している
- 別に信者じゃなくても「みんな知ってて当たり前」という一本筋が通せるキリスト教文化
- そういう文化じゃないからほんと分からない
- 無償の愛
- まっとうに正しさを定義する時代
- 皆さんのご想像にお任せします、というのではなくテーマに対して映画の中で完全に答えを出している
- 全世界の人間が見る作品でそういうのをぶつけてくるのが勇気ある
- 時代によっては価値観に反逆してひっくり返したりするのが求められる
- キリスト教圏じゃない(受容せず、否定的な)世界ではどうなるんだろう
- いくらtrue loveとか言ってもそれはその文化での正しさでしかない
- 皆さんのご想像にお任せします、というのではなくテーマに対して映画の中で完全に答えを出している
- 正しさを思い出す
- 愛を知れば勝利
- というのが文化的に理解が遠いので、最後の氷解シーンはもうちょっと段階描写が欲しかった
- アナに対してのことは解決したけど、国が凍ってるのは別問題じゃない?
- 雪の女王だと春を迎えることであっさりと立ち消える
- 冬は眠っているだけで死ではない
- Eternalってテーマでもう一曲欲しかった
[1:27:33] 制作話
- 作品自体が制作中止になりそうだった
- シリアスとコメディ
- ちょっと噛み合わせが苦しい気もした
- 基本シリアスなテーマなのでどうしてもそっちに心情が傾いているところでコメディを見るのが辛い
- でもシリアス一辺倒ではダメで、そういうパートが必要だというのもすごく分かる
- 二面性をテーマにしているところからも必要
- つまりエルサの心境で見てるとアナの無理解っぷりにイラッとくるというのに集約される
- アナが持っている明るさがもっと頼もしく見えたら良かった
- 脚本としてのシュガー・ラッシュの良さを改めて語る
- マイノリティを描く映画は多いので、悪役であるラルフを主役にするところまではまあ普通
- そうしたラルフを描いた上で、さらにゲームの不具合、グリッチという存在であるヴァネロペを登場させる
- いくら悪役として疎まれていても存在しなくなればみんなが困るが、不具合はそもそも存在が許されないものであり、マイノリティとしてのシリアス度がより高い
- そういうのって現実の話だと描くのがいろいろ難しい気がする。民族問題とか
- 普通に考えれば、不具合なんて無いほうがいいじゃんって思うはず。それを排除しようって言う王様の話もすごくよく分かる。観客をその視点に立たせてくる
- でもゲームファンだったり、プログラムを組んだ経験のある人なら、制作者の意図したものとは違う挙動をする不具合、バグというものが実は魅力的な要素を生み出すこともあると知っている(大半はダメだけど)
- 現実的な問題意識でもあるし、同時にゲームならではの醍醐味を捉えている。そういうのが描かれていたのがシュガー・ラッシュを非常に評価したいところ
- そこと比べると、frozenは上手く捌いているけどテーマとしては普遍的であり、新規性は薄いのかなって感じる
- 他作品とのリンク
- “For the First Time in Forever”でアナが頬張るチョコレートはシュガー・ラッシュのチョコ
- キャンクラの5色チョコみたいなやつ
- じゃあキャンクラから持ってきたんじゃない?
- 実はラプンツェル(ショートヘア)とユージーンも一瞬だが出てくる
- ファンの間では何故ラプンツェルたちが居るのかという推測がされていたが、あることにより「裏がとれた」という
- frozen制作者のIAmA(本人だけど質問ある?)でのやり取り
- 両親は船に乗ってどこに出かけたのかと聞いたらスタッフがweddingと答えたので、ラプンツェルたちの結婚式へ向かう途中で亡くなったという説が裏付けされた
- ついでにChris(本作と『ターザン』の共同監督)が言うには「両親は難破では死んでなくてジャングルに漂着して男の子を産んだけど、豹に食べられちゃったの…」とジョークも付け加える文脈で話している
- だからラプンツェルたちは両親の死の原因が自分たちの結婚式にあることを知っていて出席していると推測される
- 戴冠式の日は死後から3年経っていて、それはラプンツェル公開から本作までの時間と同じであることにも符合する
- 逆にラプンツェルの作中でも本作の王国Arendelleが素敵なところだと言及している
- ネタがあらかじめ仕込まれてる
- 地理的にはデンマークと公言されてるけど、最初の歌やサウナはフィンランド的
- “For the First Time in Forever”でアナが頬張るチョコレートはシュガー・ラッシュのチョコ
[1:42:00] 表現技術
- やっぱミュージカルすごいね
- ブロードウェイにも話が進んでるらしい
- 音楽の感じは現代的
- ハイスクール・ミュージカルみたいな
- あれ、観たこと無い?
- シリーズ3作目で劇場版となった『ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー』だけ観た
- クラシックディズニーファンからは「歌謡曲っぽすぎる」という批判もあるらしい
- 音楽もリノベーションしてイダテン的には好感
- 映像表現
- 雪の表現がすごいって言われてたけど、もはやどこがどうすごいとか言及できない
- 地味だけどライティング技術がすごい
- 自然に見せる技術が向上して、自然に見えるからどこがすごいとか言えない
- 雪の物理シミュレーション
- 自然だけどアニメのテイスト
- 実写じゃないし、目もでかい
- 洋服もアニメの動き
- もう自然とか言わないよねああいうの
- もう何が分からないのかも分からない
- でもそこまでお金と人出と時間をかけて作る価値があるもんなんだよなって思いながら観てた
- そこで妥協しちゃうと、いくら歌とお話で盛り上げてもそこまで気持ちが高まらないんじゃないかなと
- ゲームのピコキャスとしてはやはり物理シミュレーションとかの切り口で語りたいけど、でももはやそういうことじゃない
- 「ゲームは○や□だけでも面白くなきゃダメ」って話はもう無いよねって話になる
- 老害批判?
- 普遍的なテーマと信念のテーマ
- Frozenなどはクラシカルな万人が抱えているようなテーマにまっすぐ立ち向かう感じ
- 対して日本の作品だと万人ではないテーマをどんどん先鋭化させていってる感じ
- やっぱり宗教くらい普遍的な一本筋通った価値観が薄いから、観ているファンと制作者の間でどんどん狭く鋭くなっていく印象
- 文化的な共通認識にこたえるのもすごいけど、そこを外すのが良いとされる側面もある
- ゲームだとそれが顕著
- 戦争ゲームを作りまくってたり
- ルール的な発明、新規性がとても重視される
- なのでジャンルが先鋭化していく
- ゲームだとそれが顕著
- これは絶対いいものだ、という価値観
- 信念とはいえ、○や□で表せるはずという姿勢だときつい
- 結論としてやっぱ映像だよ
- 音もね
- ミュージカルってものは映像と音響とストーリーとキャラクターの魅力が全部ひとつになってるからすごく強い
- 音響といえばヒッチコックの『サイコ』
- 映画館でやってたので初めて観た
- 有名なシャワーシーンのキン!キン!キン!ってところがビリビリと体にすごく響いてきて新鮮だった
- 映像よりも物理的な音響によって刺激が与えられる
- YouTubeやビデオで見るのと全然違う体験
- そういうの思いつくのがすごいね
- 思いつくっていうか、悪ノリの域じゃない? 映画館ならここまでやっても許されるっていうか
- ホラーだとおどろおどろしい不気味な怖い音でMP削るって感じだけど、サイコはHPに直接的にダメージを与える系なんだなと思い知った
- ゲームも映画館くらいのところでプレイしたらまた違うのかもね
- でもゲームでそこまで音に気をつけて作れる会社ってそんなに無い
- みんなプレイ環境違うし
- ドルビー対応では作ってる
- 本気で調整までするのが難しい
- 後ろからの音や壁に遮られた音を環境に忠実に鳴らしてもそうは聞こえない
- 『Dead Space』は初めて音を消したくなった
- 怖い音が鳴ると怖い
- プレイヤーキャラが苦しくなった時の呼吸音とかすごくイヤ
- 死体踏みのときの気合い入った声
- 『バイオハザード』を初めてやったとき、ヘッドホンしてプレイするのがオススメみたいなことが書いてあった
- それでプレイしたら超怖くってほんとに辞めたくなった
- あーもう無理無理ってセーブして封印
- 基本無音の洋館で、いきなり犬がガシャーン!
- でもゲームでそこまで音に気をつけて作れる会社ってそんなに無い
[1:58:53] 日本語吹き替え版
- 吹き替え版観てもう一度ピコキャスかな
- 吹き替えは、うちのカミさんが憤って憤ってしょうがない
- 声はすごく素晴らしいの。さすが聖子ちゃん!
- 娘ね。(アナ役:神田沙也加)
- 歌詞がさぁ
- はてブに上がってた記事によると、訳した人が褒められてて自信も持ってた
- 原作者と密なやり取りして意図を聞いてどんなことを伝えたい曲なのか確認して、それから訳したとのこと
- なのに、うちではボロクソに言われてる
- 声はすごく素晴らしいの。さすが聖子ちゃん!
- 吹き替えは、うちのカミさんが憤って憤ってしょうがない
- "For The First Time in Forever"
-
- 同じセリフだけど二人の間で意味合いが変わる
- "It's only for today" → だけど今日だけは/ようやく今日だけは
- "It's agony to wait" → 待つのも辛い/待ちきれない
- 歌の構造としては一番いいところなのに
- 同じセリフだけど二人の間で意味合いが変わる
-
- "Conceal, don't feel"は歌だけでなく映画全体のキーフレーズになっているので、そのへん統一的な翻訳のディレクションが足りなかったんじゃないか
-
- "Let it go"
- 日本語だと「ありのままの」になってて自己肯定に聞こえてしまう。英語だと諦めの境地のニュアンス
- 「自分を好きになって」「自分を信じて」
- 誰よりも自分を信じられないエルサの心境とは食い違う
- "The cold never bothered me anyway" → 「少しも寒くないわ」
- 寒くないということを言いたいわけじゃない
- 寒さが自分とともにあり、それがもう感じられなくなってしまった
- ビートルズの"Let it be"とか、Let という言葉自体が日本語には訳しづらい感じがする
- Oasis "Let There Be Love"
- Eric Clapton "Let It Grow"
- 難しいのは分かるし俺に訳せって言われたら困るけど…
- じゃあ代案出せよって炎上したら反論できないけど、でも違うなあって感じちゃう
- それくらい良かった、思い入れが強いということ
- じゃあ代案出せよって炎上したら反論できないけど、でも違うなあって感じちゃう
[2:13:40] 申し訳程度にゲームの話題
- Far Cry 3やった
- 面白いね
- まあ普通におもしろい
- タイタンをフォールしてないけど、ダークはソウルした
- は?
- (『タイタンフォール』は届いてないけど『ダークソウル2』は届いた)
- World of Tanks
- Xbox 360にも来てた
- あれはぁ〜〜
- なにその蔑んだ目は
- 動画で見たけど、いやもう全然別ゲーでしょ
- プレイにとても重要な情報であるマップがGTAみたいなミニマップになってて、全体マップはいちいち開かないといけない
- まじありえない
- でもサーバー違うでしょ
- もちろん。PC版と同じサーバーで対戦したら一瞬で撃ち殺されるはず
- PC版だとマップ見て自分が見えてる範囲と相手から見えてる範囲を考えて位置取りしていくという繊細な戦術が要求される
- Xbox版はそこは割り切ってマップ情報を減らすことで、アーケードライクに出たとこ勝負という感じの調整かなと思う
- RTSとかああいうゲームってメインの画面よりマップだけ見てればいいというくらい
- Alienware
- 詐欺師、偽善者
- そういやFrozenでクリストフがサウナ店主を詐欺師呼ばわりしてたけど、イダテンさんが初めて覚えた英単語って詐欺師とか言ってなかったっけ?
- 中学生なのに偽善者 hypocrite(ヒポクリット)って単語を覚えてたって話だよ
- 作中の詐欺師は crook でした
[2:23:50] 次回
追記
今日マチ子さんの描くFrozenが面白かった
アナと雪の女王(FROZEN) 昨日は彼氏 今日はべつの男友達と雪のかたまりをつれてきた pic.twitter.com/VkPZUHglfq
— 今日マチ子 kyo machiko (@machikomemo) 2014, 3月 17
アナと雪の女王(FROZEN)ふたりで学校にいくところ pic.twitter.com/SMnM8R6qNC
— 今日マチ子 kyo machiko (@machikomemo) 2014, 3月 14